広済寺の歴史
廣済寺は、むかし旧砺波郡福田郷の十禅師社之別当職真言宗攝生院と号した霊場であった。
室町時代
享徳元年(1452年)四月三日、住職慶榮及び信徒は浄土真宗に帰依し、同郡小栗郷内篠川村領(現在は笹川)に善徳他十数名により、難渋の数年を要して六町歩余の地を開墾し、その地を福田と名づけ堂宇を建立し廣済寺の寺号を賜わる。
安土桃山時代
天正12年(1584年)、火難に遭い堂宇残らず焼失し、由緒書類及び宝物等みな灰燼に帰した。
文禄元年(1592年)に本堂を再建。
江戸時代
寛政5年(1793年)に庫裡を再建。