宮城県に行ってきました~瓦礫撤去作業・視察編~

27日、炊き出しをした26日と同じく仙台は快晴。

宿泊させていただいている仙台別院は朝7時からお朝事のお勤めでした。

本堂の中は全国から集まった支援物資が山積み。
様々な種類の物資がありましたが、過剰に余っている物もある様子。

支援物資を送るときは、刻一刻と移り変わる被災地の不足情報を常に確認する必要性を痛感。(こちらで用意した物が無駄になるのはもちろん、被災地の方もせっかく持ってきてくれたものを無下に断るわけにもいかず、結果過剰な在庫となってしまう)

さて27日の活動は仙台市に程近い多賀城市の災害ボランティアセンターにお世話になりました。

9時前に多賀城のボラセンに到着するとすでにたくさんの人が列を作っていました。

二階に上り、そこでマッチング作業待ち。

被災した市民からの依頼に応じて、担当者達がテキパキとボランティア人員を振り分けておられました。

私たちはちょうど5人でのチームとなりました。

場所は韓国料理店。
店が生活住居と一緒になっており、一階の店舗裏の生活部分が津波で相当な被害を受けていました。

地面から1m50cmを越える高さまで津波の跡が。

5人で一生懸命働いたつもりですが、その家全てを片付けることは到底無理でした。

自分ができることの小ささを痛感。
被災している地域はもっともっともっとあります。
一人一人が自分にできることをしていかなければならないと感じました。

午後3時に作業を終え、再び若林区を視察。

被災した浄土真宗のお寺を訪ねました。

鐘楼は倒れ、親鸞聖人像の笠も曲がってしまっていました。

本堂内もある程度片付いていましたが被害の大きさを見せつけられます。

墓地も大変なことになっていました。

ちょうど震災の四十九日の前日でした。

お参りしておられたご老人。
誰がお亡くなりになったのでしょうか。声がかけられませんでした。

翌28日は宿泊させていただいていた部屋の掃除をした後、視察のため気仙沼市に向け出発。

途中まで高速道路を使ったのですが、到着まで3時間弱かかりました。

気仙沼市に入ると、まもなくして津波の傷跡が。
恐ろしいまでの津波の破壊力。

ここにも津波が襲うまでは私たちと何も変わらない普通の家庭があったのでしょう。
生活の跡が残っています。

巨大な船が車の行く手を塞いでしまっています。

海の中に沈んでしまった道路。

対岸にもたくさんの船が打ち上げられていました。

海水が引かず、臭いも相当な範囲に渡っていました。

このような現実はここだけではないでしょう。

実際に被災地に行ってみると、この震災の規模の大きさを改めて感じさせられました。
そしてまた、自分がどれだけ小さいかということも。

今、人間一人一人の意識が問われています。

一人一人がどんなに小さいものであったとしても、皆でがんばり、つづけていけば、必ず復興は遠い未来のことではないと信じています。

これからも自分にできることを考えながら、皆でできることを互いに考えあいながら、被災地への支援を継続していきたいと思います。


仏陀の言葉

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