15日、この日から組長含めた2名が合流。
実は14日の夜、組長から電話が。
「今から富山出るから。」
二日間の活動中も何度も何度も電話をくれ、大変心配してくれていた組長。
夜通し運転し(もちろん運転はもう一人の方です)、朝3時頃仙台別院に着いていたとのこと。
結果15日の行動は7人3台での行動となりました。
三日目となる仙台別院の朝。
所狭しとあった支援物資も随分片付いてきています。
お勤めを終え、三日間お世話になった仙台別院を後にし、組長が挨拶のため、再び七ヶ浜町中央公民館へ。
その後、視察のため、三陸道を北へと進み、
南三陸町に着きました。
こんな山際まで津波はさかのぼってきたようです。
道路は随分復旧したようで、橋が流されたところもこのような仮設の橋が作られていました。
南三陸町は今回の大震災でも大変被害が大きかった場所の一つです。
志津川中学校から撮影。
途中、移動式の臨時コンビニエンスストアがありました。
南三陸町沿岸部を北に向かってと進みますが、まだまだ迂回路が多いのが実状です。
線路もひどい被災状況です。
線路自体が流されてしまっています。
線路は至る所で壊滅的状況でした。
周辺には様々なものが残されていました。
南三陸町を後にして、車はさらに北の気仙沼市へ。
気仙沼は4月にも訪れていたのですが、その時の状況よりも随分よくなっています。
仮設道路が作られ、海水の中を通ることもなくなっているようでした。
あちこちの陸地に乗り上げていた船もほとんど片付けられていたようです。
以前撮影した船 でしょうか、この船も移動されていました。
随分復旧が進んでいるようでしたが、気仙沼の臭いは相変わらず変わりありません。
今から梅雨に入り、衛生状況がいよいよ心配です。
なんとかこの問題も乗り越えることを願います。
気仙沼を後にして、一度仙台市に戻り、富山へ。
深夜12時をまわって、ようやく長光寺に到着。
今回の活動が終了しました。
前回4月の活動に比べ、今回は時間を有効に使って様々な活動をできたのではないかと思います。
反省点、改善点等、まだまだたくさんありますが、これらを踏まえて、今後も被災地の方に対してよりよい活動をしていくことができればと思います。
2011 年 6 月 17 日 8:05 PM |
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12日夜から15日にかけて、東日本大震災五位組第二次支援活動を行いました。
※ 第一次支援活動については
4月29日の記事 宮城県に行ってきました~炊き出し編~
4月30日の記事 宮城県に行ってきました~瓦礫撤去作業・視察編~
を参照ください。
今回の参加人数も5名。予定では7名でしたが、直前にお通夜が入って、組長を含め2名が急遽キャンセル。
一度経験しているとはいえ、不安の中でのスタートとなりました。
今回の活動内容は13日・14日共に、日中は行政ボランティアセンターでの支援活動、夕方は炊き出し(80名分)です。
例のごとく、高岡市からの支援物資を積み込んでの出発です。
夜10時に長光寺を出発し、朝5時過ぎに仙台宮城インターに到着。
仮眠をとって、仙台別院へ。
七時からのお朝事(朝の勤行)、そして宿泊等の手続きを終え、今回の活動予定地である七ヶ浜町へ向け出発。
途中、前回瓦礫撤去作業をさせていただいた韓国料理店の前を通過。
随分片付けが進んでおり、うれしくなりました。
震災から三ヶ月が経ち、復興作業が確実に前へ前へと進んでいることを感じました。
9時前に七ヶ浜町中央公民館の避難所に到着。
挨拶を済ませ、隣にあるボランティアセンターへ移動。
この日の作業内容は、撤去作業の中で出てきた写真の整理作業。
きれいにクリーニングをした写真を仕分けていきます。
戦前の写真から、結婚式や旅行の写真などの最近の写真まで、残された写真は膨大な数にのぼります。
けれどそれ以上の思い出が今回の震災で流されてしまったという事実。
大切な思い出が写った写真がなんとか持ち主の元へと戻ってくれればと思います。
午後からは東北教区災害ボランティアセンターからの2名に合流していただき、7名で炊き出し準備を開始。
今回のメニューは、「豚汁・ご飯・漬物」です。
ありきたりのメニューで申し訳なかったのですが、がんばって作りました。(漬物は前日に長光寺の仏教婦人会の方々が作ってくれました)
避難所の担当者から、この日の避難所の人数が予定よりも少なく60名ほどだとの連絡を受け、避難所前に建てられている、仮設住宅の方々へも炊き出しの案内をさせていただきました。
結果130名あまりの方に来ていただけました。
ご飯は途中で無くなってしまいましたが、豚汁は具沢山で作っていたので、問題なく対応することができました。
14日もやはり同じ七ヶ浜町中央公民館での炊き出しです。
午前は二班にわかれ、瓦礫の撤去作業を行いました。
私ともう一人は、被災地の側溝掃除でした。
臭いが大変きつく、側溝からは様々なものが出てきます。
瓦、コンクリートの固まり、膨大な土砂・・・。
30人ほどでの作業でしたが、午前中は水を流れるようにすることで精一杯でした。
もう1班の三人は住宅の流入物の撤去作業。
撤去作業は確実に進んでいますが、まだまだ人手が足りないようでした。
午後からは13日と同じく2名の方と合流し7名で炊き出し準備を開始。
この日は近くで大規模な炊き出しがあるとのことで、予定人数はなんと40名ほどとのこと。
昨日の例もあるので、早速仮設住宅の方々に案内させていただき、五時より炊き出しスタート。
メニューは、「うどん・ゆで卵」です。
今回は富山の赤巻・昆布巻の蒲鉾、そしてとろろ昆布をトッピングさせていただきました。
皆さん珍しそうにしながら、トッピングしてくださいました。
結局この日も100名分を越えるうどんがなくなりました。
片付けが終わり、7時に現地を出発。
今回の炊き出しも皆で力を合わせ無事終えることが出来ました。
直前に2名を欠き、不安の中での活動でしたが、避難所・仮設住宅の方々の笑顔のおかげで、なんとかやり遂げることができたように思います。
2日目の最後に、避難所の方々が外まで出てこられて私たちに感謝の言葉をくださったのですが、逆に私たちが感謝の気持ちでいっぱいです。
今回の炊き出し活動は二日連続同じ場所というものでしたが、避難所の方々との心の距離が少しでも縮まったような気がして私自身にとっても本当に力になるものとなりました。
~後編~ に続く
2011 年 6 月 16 日 10:33 PM |
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お寺の隣では、自衛隊の方々が瓦礫撤去作業を行っておられました。
その他にも各地で自衛隊による作業が続けられていました。
お寺の山側にはもう一つお寺があったのですが、墓地はご覧のような被害状況。
裏山の山頂には神社があり、そこから海岸部を一望できるとのことでお昼休憩に登ってみました。
頂上では、海に向かってきれいなお花があちこちにお供えされていました。
その中にこんな詩も貼ってありました。
風などで随分破けてしまっていますが、こんな詩が書いてありました。
まもりたいものがある
それは 生命(いのち)のいとなみ 豊かな自然
つたえたいものがある
それは 先人の知恵 郷土の誇り
たいせつにしたいものがある
それは 人の絆 感謝のこころ
わたしたちは 石巻で生きてゆく
共につくろう 輝く未来
富山に帰ってから調べてみると、これは「石巻市民憲章」とのことでした。
この大震災を乗り越えていこうという石巻市民の力強い思い、意志にあふれています。
「輝く未来」をみなさんが少しでも早く共に見ることができるよう、これからも自分にできることから続けていきたいと思いました。
作業現場のお寺周辺を眺める
2011 年 6 月 8 日 9:33 PM |
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