岩手県の「かわいキャンプ」へ~後編~

1896年(明治29年)の明治三陸地震、1933年(昭和8年)の昭和三陸地震の大津波で壊滅的被害を受け、「津波太郎」との異名をもつ田老町へ。

被災跡は草が生い茂っていました

度重なる津波被害から町を守るため、翌1934年(昭和9年)から田老町では防潮堤の整備を開始。

実際にこうしてできた高さ10mの防潮堤によって、1960年(昭和35年)のチリ地震による大津波の被害は軽微なものだったそうです(死者も0人)。

その後も防潮堤の整備を続け、

ついに、

高さ10m、長さ2.4kmの「万里の長城」とも称される田老町の防潮堤が完成。

チリ地震による大津波を防いだ実績から世界的にもここ田老町の防潮堤は有名なものでした。

しかし、

今回の大津波はその防潮堤を圧倒する大きさでやってきたそうです。

高さ10mの防潮堤に対し、津波の高さはその2倍はあったそう。

そして向かってくる波には強い防潮堤も引き波には弱く、海寄りの防潮堤は今はこのような姿になっています。

引き波の時は、田老漁港の海底が見えていたと職員の方が言っておられました。

 

明くる朝は、滞在中で一番いいお天気。

宮古市ボランティアセンターでも雨の日は体育館でのラジオ体操でしたが、やはりラジオ体操は外でやるのが気持ちのいいものですねicon_razz.gif

この日もサロン活動をさせていただいたのですが、場所によってサロンの利用状況は違っているようでした。

この日は孫を連れて来てくれたおばあちゃん一組のみ。

はやく住民のコミュニケーションの場にするための支援活動の必要を感じました。

 

さて、前々回のブログ(9月1日 夏の終わりに)でお伝えしていた、笹川の小学生たちが協力してくれた支援金ですが、

今回の滞在でお世話になった「かわいキャンプ」さんへ支援金としてお渡ししてきました。

全国から集まってくるボランティアたちを毎日サポートしていくのは大変な活動です。

活動後、タイヤがパンクするというアクシデントも

またそこで活動しているボランティアの皆さんはそれぞれ一生懸命に活動されていました。

そのような方達ならきっと被災者のために有効に使っていただけると思います。

 

P.S.

「かわいキャンプ」さんのブログに、笹川の小学生たちからの支援金のことがアップされていました。

該当記事は こちら から。

 

岩手県の「かわいキャンプ」へ~前編~ は こちら


岩手県の「かわいキャンプ」へ~前編~

先日から岩手県へ行っていました。

場所は「かわいキャンプ」。

「かわいキャンプ」とは岩手県の盛岡市が同県宮古市川井地区に設置した施設です(昨年閉校となった宮古高校川井校を活用)。

この施設は、沿岸地域へ行って活動するボランティアたちの活動拠点として運営されています。

全国から被災地支援のために集まるボランティアたちですが、宿泊場所・交通手段などをもたない方が大半です。

そういった方々を支援してくださっているのがこの「かわいキャンプ」なのです。(HPは こちら

今回私はこの「かわいキャンプ」さんを利用させていただきました。

この「かわいキャンプ」が主に担当している被災地は宮古市周辺。(同様の支援活動をしているところに 「遠野まごころネット」 というのもあります。こちらは釜石市周辺。)

支援活動は依然として瓦礫撤去などの作業が続いていますが、一定の目処が立った現在は、平行して仮設住宅でのサロン活動なども増えてきているようです。

サロン活動とは、仮設住宅の集会所を入居者同士の憩いの場として広く使っていただけるようお手伝いしていく活動です。

ここは宮古市中里の仮設住宅。

ここが集会所。

午前中は一人しか来られませんでしたが、午後からはたくさんの方に来ていただけましたicon_biggrin.gif

 
今回の宮古市滞在中には、台風の影響で瓦礫撤去作業が中止になるという事態になりました。

かわいキャンプの横を流れる川もすごい水の量です。

結局その日は、宮古市以北の被災地を案内していただくことに・・・

 

続きは 岩手県の「かわいキャンプ」へ~後編~ へ


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