五位組連研第5回研修会

9月14日(日)午後7時より、笹川の広済寺にて五位組連研第5回研修会が開かれました。

今回から会場が、麻生谷の西光寺さんから広済寺へと移り、少し迷ってしまった方もおられたようですicon_cry.gif

前半は今回から正信偈の練習に。

第一回は草譜の偈文の唱え方を練習しました。

 

話し合い法座は、高岡市内島の教願寺住職、岡西法英先生。

今回は

要は「おかげさま」ということであろうから、神仏は区別しなくてもよいのではないか。

という問題について話し合いました。

それぞれの班で活発な議論が交わされたようですicon_razz.gif

この問題を話し合うことを通して、神や仏といった対象の問題ではなく、聞信の宗教という、信者の姿勢の問題を深めていただけたらと思います。

 
次回の第6回連研は、

11月18日(日)午後7時より。

会場は、同じく笹川の広済寺となっております。

今回の連研は出席率がとても高く、大変ありがたく思いますicon_razz.gif

次回もお待ちしております!


第五回連門会

10月7日(日)午後4時より、高岡市笹川の広済寺にて、第五回蓮門会が開かれました。

今回は歎異抄の第15条。

あらゆる煩悩をそなえた身でありながら、「この世で」さとりを開くという邪義があったようです。

この世でさとりを開くというのは、能力のすぐれた人が行う難行の道です。

対して、次の世でさとりを開くというのが、他力浄土門の教え。

この教えは、能力の劣った人に開かれた易行の道であり、この教えこそ、善人も悪人も分け隔てなくなく救われていく教えだったのです。

この世でさとりを開くと言っている人は、お釈迦様のように、教えを説き人々を救うのでしょうか?

このようなことができてこそ、この世でさとりを開いたといえるのです。

阿弥陀様のお救いによって、迷いの世界に生まれ変わり死に変わりすることのないことを知らされますが、

このことを「さとり」とごまかしていってよいものでしょうか。

大変悲しいことです、

と第15条には示してあります。

次回は、2月3日(日)午後4時より、高岡市内島の教願寺さんにおいて開かれます。

皆様のご参加をお待ちしております。


仏陀の言葉

Facebook 

管理画面