雑感
14日と15日の二日間、浄土真宗本願寺派高岡教区寺族青年会の東日本大震災第二次復興支援活動に参加させていただきました。
毎回、前日深夜に高岡を出発し最終日の深夜に帰ってくるという強行日程ですが、慣れればなんとかなります
今回の活動場所は、寺青第一次支援活動と同じく、宮城県石巻市。
※ 寺青第一次支援活動については
6月7日 寺青大震災復興支援活動~前編~ 参照
6月8日 寺青大震災復興支援活動~後編~ 参照
私たちは仙台別院を拠点として二日間というわずかな期間ですが活動させていただきました。
久しぶりの仙台別院。
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お朝事が讃仏偈から通常時の正信偈に戻っていました。
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以前は本堂に山のように積まれていた支援物資も今では別室に置いてあるそうです。
14日は「石巻市復興を考える市民の会」さんの活動に参加。
この「石巻市復興を考える市民の会」は被災者の方々が立ち上げた団体で、石巻でも被害の大きかった渡波地区の黄金浜会館を拠点として泥出しや瓦礫の撤去作業を行っておられる団体です。
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この会は行政のボランティアセンターとは別に活動しておられます。
理由を尋ねてみると、
行政に支援をお願いしても対応が遅いとのこと。
だから自分たちで会を立ち上げて自分たちの手で支援活動をしていこう!ということになったそうです。
ではなぜ行政は対応が遅いのか。
原因の一つとして、行政は瓦礫の撤去作業等にも地元企業を優先的に採用するそうで、余力のある地元外の企業はあまり使われず、結果として忙くなる地元企業は作業スピードが遅くなるんだということでした。
地元企業を優先的に使うことは理解できるが、だからといってそれで復興スピードが遅くなるのでは意味が無い。
一日も早く復興できればそれだけ地元の経済活動だって早く復興するのだから、今は地元民を始め、県内外からのボランティアと一緒になって少しでも早く復興に向け活動していきたいと仰っておられました。
さて14日の活動内容に話を戻しますと、
14日は石巻市渡波地区の側溝の泥出しをしました。
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およそ20人での活動でしたが、泥を出し土嚢に詰めるのはけっこう時間がかかります。
以前七ヶ浜でも側溝作業はしたのですが、その時に比べて汚水などは詰まっておらずその点は楽だったのですが、やはりなかなか簡単には進みません。
※ 6月16日 五位組第二次支援活動~前編~ 参照
結局丸一日で100mちょっとしか進みませんでした。
こういった作業は地道に少しづつ進めていくしかありません。
まだまだボランティアの力の必要性を感じました。
ここで長期間活動しておられる70歳の方。
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みんなを引っ張っていくその力強さは、私達のみならず、きっと被災者の方々に勇気を与えてくれていると思います。
15日は石巻市の浄土真宗本願寺派のお寺の瓦礫撤去作業。
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6月に訪れた時より随分と撤去作業も進んでいました。
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しかし大きな瓦礫は片付いても、津波によって堆積した土砂はまだまだ残っています。
現在はそれらの除去作業。
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細かいところまできれいにしながら少しづつ進んでいます。
また、6月に来た時とは打って変わって雑草が生い茂っていました。
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雑草取りという新しい作業も増えました。
やはりここもまだまだボランティアの力を必要としています。
総じて石巻市は瓦礫撤去は随分進んでいるように感じましたが細かいところはまだまだという印象でした。
そしてまた撤去した瓦礫も沿岸部に山積みとなった状態です。
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決してまだ薄れてはいない大震災の爪痕。
「この状況を帰ったら地元の方々に伝えてください」と「石巻市復興を考える市民の会」の方が何度も仰っておられたのが心に残った今回の支援活動でした。
2011 年 9 月 17 日 11:31 PM |
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1896年(明治29年)の明治三陸地震、1933年(昭和8年)の昭和三陸地震の大津波で壊滅的被害を受け、「津波太郎」との異名をもつ田老町へ。
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被災跡は草が生い茂っていました
度重なる津波被害から町を守るため、翌1934年(昭和9年)から田老町では防潮堤の整備を開始。
実際にこうしてできた高さ10mの防潮堤によって、1960年(昭和35年)のチリ地震による大津波の被害は軽微なものだったそうです(死者も0人)。
その後も防潮堤の整備を続け、
ついに、
高さ10m、長さ2.4kmの「万里の長城」とも称される田老町の防潮堤が完成。
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チリ地震による大津波を防いだ実績から世界的にもここ田老町の防潮堤は有名なものでした。
しかし、
今回の大津波はその防潮堤を圧倒する大きさでやってきたそうです。
高さ10mの防潮堤に対し、津波の高さはその2倍はあったそう。
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そして向かってくる波には強い防潮堤も引き波には弱く、海寄りの防潮堤は今はこのような姿になっています。
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引き波の時は、田老漁港の海底が見えていたと職員の方が言っておられました。
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明くる朝は、滞在中で一番いいお天気。
宮古市ボランティアセンターでも雨の日は体育館でのラジオ体操でしたが、やはりラジオ体操は外でやるのが気持ちのいいものですね
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この日もサロン活動をさせていただいたのですが、場所によってサロンの利用状況は違っているようでした。
この日は孫を連れて来てくれたおばあちゃん一組のみ。
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はやく住民のコミュニケーションの場にするための支援活動の必要を感じました。
さて、前々回のブログ(9月1日 夏の終わりに)でお伝えしていた、笹川の小学生たちが協力してくれた支援金ですが、
今回の滞在でお世話になった「かわいキャンプ」さんへ支援金としてお渡ししてきました。
全国から集まってくるボランティアたちを毎日サポートしていくのは大変な活動です。
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活動後、タイヤがパンクするというアクシデントも
またそこで活動しているボランティアの皆さんはそれぞれ一生懸命に活動されていました。
そのような方達ならきっと被災者のために有効に使っていただけると思います。
P.S.
「かわいキャンプ」さんのブログに、笹川の小学生たちからの支援金のことがアップされていました。
該当記事は こちら から。
岩手県の「かわいキャンプ」へ~前編~ は こちら
2011 年 9 月 11 日 2:45 PM |
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先日から岩手県へ行っていました。
場所は「かわいキャンプ」。
「かわいキャンプ」とは岩手県の盛岡市が同県宮古市川井地区に設置した施設です(昨年閉校となった宮古高校川井校を活用)。
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この施設は、沿岸地域へ行って活動するボランティアたちの活動拠点として運営されています。
全国から被災地支援のために集まるボランティアたちですが、宿泊場所・交通手段などをもたない方が大半です。
そういった方々を支援してくださっているのがこの「かわいキャンプ」なのです。(HPは こちら)
今回私はこの「かわいキャンプ」さんを利用させていただきました。
この「かわいキャンプ」が主に担当している被災地は宮古市周辺。(同様の支援活動をしているところに 「遠野まごころネット」 というのもあります。こちらは釜石市周辺。)
支援活動は依然として瓦礫撤去などの作業が続いていますが、一定の目処が立った現在は、平行して仮設住宅でのサロン活動なども増えてきているようです。
サロン活動とは、仮設住宅の集会所を入居者同士の憩いの場として広く使っていただけるようお手伝いしていく活動です。
ここは宮古市中里の仮設住宅。
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ここが集会所。
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午前中は一人しか来られませんでしたが、午後からはたくさんの方に来ていただけました
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今回の宮古市滞在中には、台風の影響で瓦礫撤去作業が中止になるという事態になりました。
かわいキャンプの横を流れる川もすごい水の量です。
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結局その日は、宮古市以北の被災地を案内していただくことに・・・
続きは 岩手県の「かわいキャンプ」へ~後編~ へ
2011 年 9 月 11 日 2:14 PM |
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